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Seoul

01034024412

- Materialising the moments -
"Oblivion Terror" x "Craving For Existence" x "Physical Linkage" x "Impermanence" x "Physical Photography"

CHINA DRY PLATE COLLODION

 

乾板写真技法が写し出す〈現代〉の姿には、どこか時間を超越した不思議な感覚がある。
〈過去〉〈現代〉の両方を想起させる不思議な感覚だ。

しかしそれは、
〈過去〉のA地点と〈現代〉のB地点を、左から右へと進んでいくような横向きの時間軸ではなく、
〈過去〉のA地点と〈現代〉のB地点が、ともに重なり合った状態で立ち現れてくる。

この視点の感覚は皆既日食で喩えることができる。
太陽-月-地球が一直線に並び、月の姿しか見えない状態になっても、
私たちはそこに太陽の存在を感じられる。
同様に、乾板写真技法で撮影したこれらの写真にも、
〈現代〉の姿しかそこには写っていないはずなのだが、
太陽のコロナ的存在の「なにか」がその写真に立ち現れてくるのを感じる。

そして、その「なにか」が自分の〈過去〉感と共鳴する。

だが、その感覚を想起させる痕跡を、私は私の内に見出すことができない。
私はその〈過去〉を知らないし、経験もしていないはずだ。
それなのに、〈過去〉と〈現代〉とが立ち重なるその姿に、何故だが心の「どこか」が呼応する。
言葉でうまく表現出来ず、もどかしさをも感じるその「なにか」が、
何故だがその心の「どこか」にとっては、とても居心地が良いものになっている。
人は普通、その「どこか」こそが過去体験自体だと認識している。
その「なにか」は、その「どこか」を開ける鍵となり、人は自己が経験した〈過去〉を思い出す。
私自身も何の疑いもなくそう信じ込んでいた。

しかし、どうやら事情が違うのかもしれない。
〈過去〉とは、いったい何であったのか。
想起対象である「どこか」を、私はいまいち掴みきれていない。
〈過去〉の体験がないものを想起体験するということはあり得るのか。
ひょっとすると、想起体験自体が過去の体験そのものではなかったのかもしれない。

乾板写真技法が写し出すこれらの写真に、
私は〈過去〉と私たちの根源的関係にまで疑問を持ちはじめるようになってしまった。

 

28th Nov 2017