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Seoul

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伊藤 悠吾/Yugo Ito/ダゲレオタイプDaguerreotype/湿板写真WetPlateCollodion/乾板写真DryPlateCollodion/ - Materialising the moments -
"Oblivion Terror" x "Craving For Existence" x "Physical Linkage" x "Impermanence" x "Physical Photography"

[+ About Me]

<h1>伊藤 悠吾 / YUGO ITO<h1>

<h1>ダゲレオタイプ / 湿板 / 乾板<h1>

残したい対象に一度触れた光の粒子(光子)を感光膜面上で物質的に保存し、“Physical Linkge(物理的な繋がり)”を構築し、再び戻ることのできない過去、その”無常”に抗おうとする作品作りを続けている写真家。

その根底には、写真の本質的特徴とは自己の人生の強度を高めてくれることである、という彼の信条があり、

そしてそれは「自身の痕跡を残そうとする本能」は全生物における第一原則であるが、人類だけは認知革命により「忘却の概念」と出会うことになった。それ以降、人類は“Oblivion Terror(忘却恐怖)”に抗うよう、様々な方法で自身の痕跡を残そうと試みてきた。その無意識の集合体の流れこそが写真発明の源泉だ」という彼の信念に基づいている。

だが、写真は存在の客観的確証を担保してくれる、仏教でいう“渇愛”の一つ、「いつまでも生き続けたい。死後も何らかの形で存在したい」という苦の根源である“有愛”の欲を満たしてくれる発明である、と彼自身気づいている。しかし、写真を撮り残したいという自我が求める欲の炎は容易には消せない。

だからこそ彼は、「全ての事物・現象は移り変わり、不変のものなどない。」という諸行無常を理解しようと、時間と共に、自分と共に寂びていく過程を体現し、無常観の美を経験されてくれるダゲレオタイプや湿板写真、フイルム写真などの“フィジカル写真”(デジタル写真と対比して彼はそう呼んでいる)をメインに日々写真を撮るよう努め、自己の矛盾と対峙し続けている。

主にダゲレオタイプや湿板写真などの古典写真技術、そしてフイルムカメラなどで写真撮影を行なっているが、去年の夏敢行した世界一周ウェディングフォトツアーや、その他 日本企業のクライアントなどから頂く撮影依頼に対しては、要望に応えデジタル機器を使用することもある。Airbnb Official Photographer としても活動をしている。<h1>

伊藤 悠吾 Yugo Ito Materialism イトウ写真館 日本 Japan ダゲレオタイプ daguerreotype 다게레오타입 銀版攝影法Wet Plate collodion Process 湿板写真 湿板コロディオンプロセス 습판사진 濕版攝影法 Dry Plate Collodion Process 乾板写真 乾板コロディオンプロセス 건판사진 干版攝影法 Ambrotype アンブロタイプ tintype ティンタイプ

 
Daguerreotype-self-portrait%22.jpg
 
 

+Bio

[fade]伊藤 悠吾 / ITO YUGO

 

愛知県津島市出身。
1991年、イトウ寫真舘 4代目 長男として生まれる。[/fade]

[fade]上智大学経済学部経営学科を卒業後を
ロンドン芸術大学大学院写真学科に進学。
卒業後、現在は東アジアを中心に

ダゲレオタイプ】【湿板コロディオンプロセス】【乾板コロディオンプロセス】など

写真創成期の写真技法を用い活動している。

レトロ・懐古・好古といった観点ではなく、“Digital Photography”の時代になった今だからこそ認識できるフイルム写真や古典写真技法が持っていた写真に本来期待されていた力新たな特質を、レトロニム的に“Physical Photography”と名付け、2013年頃よりその周知を目的とした撮影・活動・作品製作を行なっている。[/fade]

Giroux Daguerreotype Camera Yugo Ito ジルーダゲレオタイプ型暗室カメラ
 

また現在、それら技法の撮影と暗室作業が行えるジルーダゲレオタイプカメラ型の巨大な暗室カメラ作品を、写真館スタジオ内にて製作している。

 
ダゲレオタイプ

ダゲレオタイプ

自作摺り漆大判カメラ  カメラ製作&販売についてのお問い合わせを頂きますが、現在そのようなご依頼は承っておりません。ご了承ください。

自作摺り漆大判カメラ

カメラ製作&販売についてのお問い合わせを頂きますが、現在そのようなご依頼は承っておりません。ご了承ください。

 
 
 
 

[fade]MATERIALISM KOREA[/fade]

 
MATERIALISMPROFILE(4000-72).jpg

[fade]ロンドン芸術大学大学院卒業後、
クラスメートでもあった香港人の写真家Antony Shumと共に、
韓国ソウルで“MATERIALISM”プロジェクトを企画・始動。

古典写真技法で撮影する訪問写真館、
乾板技法の撮影&現像体験イベント、
さらには2017年WTF世界テコンドー大会での
メダリストらの撮影を湿板技法で行うなど、

現代だからこそ認識できるようになった
古典写真技法の持つ新しい側面の周知を目的とした活動を行なう。

左:本人
右:アントニー・シュム → Antonyshum.com[/fade]

 
 

 

[fade]MATERIALISM JAPAN[/fade]

 


[fade]MATERIALISMプロジェクトは現在も続けており、
実家であるイトウ寫真舘にて、
ダゲレオタイプ
湿板コロディオンプロセス(湿板写真)
乾板コロディオンプロセス(乾板写真)
の写真創成期の写真技法 全三種を撮影することが可能な
世界初のスタジオのオープン準備に勤しんでいる。[/fade]

また、現在スタジオ内にて巨大暗室カメラを製作しており、撮影/現像の体験はこの暗室カメラ内で行う予定である。

 

+CV

 

-主な職歴/依頼歴/活動歴-

2018 世界初のカメラ機ジルーダゲレオタイプカメラ(Giroux Daguerreotype)型の巨大暗室カメラをSelf-buildで製作

2018 世界で唯一のダゲレオタイプ&湿板&乾板写真が撮影できる写真館をオープン予定 / イトウ寫真舘, 津島市, 愛知県
   (“MATERIALISM JAPAN”)

2018 VINTAGE BIKE RUN in TSUSHIMA / オーナーらの集合写真を撮影 (ダゲレオタイプ・湿板・乾板・フィルム)
   津島神社&天王川公園, 津島市, 愛知県 →HERE

2017 第二回乾板写真 撮影&現像 特別体験会 / 文化庭園, ソウル, 韓国

2017 ソウル特別市後援 "ロマンシアター" 音楽朗読劇<甜蜜蜜> 出演者湿板写真出張撮影 / ソウル, 韓国

2017 第一回乾板写真 撮影&現像 特別体験会, 鐘路文化財団 武溪園 / ソウル, 韓国

2017  WTF 世界テコンドー選手権大会期間中 国立テコンドー博物館で湿板写真の製作 → HERE

2017 "MATERIALISM"  /  企画者&写真家(香港の写真家と共に)

2016 世界一周ハネムーン / 同行カメラマン → HERE

2016 Airbnb, Inc. エアビーアンドビー / 日本 オフィシャル フォトグラファー[/fade]

 

-学歴-

2015 ロンドン芸術大学 大学院,
         ロンドン カレッジ オブ コミュニケーション,
          写真科 卒業

2014 上智大学, 経済学部経営学科 卒業

-受賞歴- (13賞)

2018 【Monochrome Awards 2018】- インターナショナル
   アーキテクチャー部門
   - 第一位 最優秀賞 受賞(プロフェッショナル部門)
   自作乾板写真にて

2018 【Monochrome Awards 2018】- インターナショナル
   アーキテクチャー部門
   - 名誉賞 受賞(プロフェッショナル部門)
   自作乾板写真にて

2018 【Monochrome Awards 2018】- インターナショナル
   アーキテクチャー部門
   - 名誉賞 受賞(プロフェッショナル部門)
   自作乾板写真にて

2017 【Monochrome Awards 2017】- インターナショナル
   ランドスケープ部門
   - 名誉賞 受賞(プロフェッショナル部門)
   自作乾板写真にて

2017 【Monochrome Awards 2017】- インターナショナル
   ランドスケープ部門
   - 名誉賞 受賞(プロフェッショナル部門)
   デジタル写真にて

2016 【The Rendering The Spirit show】
            (古典写真技法展) - アメリカ
            - 「12人の古典写真技法アーティスト」選出

2015 【Thirty for Thirty】- イギリス
            - 「30人の若手新興アーティスト」選出

2014 【第62回ニッコール写真展】- 日本 - 準特選 受賞

2013 【第11回 日本写真作家協会】- 日本 - 優秀賞 受賞

2013 【第17回総合写真展】- 日本 - 優秀賞&秀作 受賞

2013 【駐日大韓民国大使館主催 フォトコンテスト】
            - 日本 - 入選

2013 【スウェーデン大使館&ハッセルブラッド共催
            イノベーティブ・スウェーデン
           フォトコンテスト】- 日本 - 優秀作品賞 受賞

2012 【第64回 中日写真展】- 日本 - 入選

-写真展- (6展)

2018 Alice in the www “Who in the www am I?” /
   ダゲレオタイプの作品でコラボレーション/
スホギャラリー, 盆唐区, 韓国

2017 現代ソウル&中国乾板写真展 / 文化庭園,ソウル, 韓国

2017 現代ソウル乾板写真展, 鐘路文化財団 武溪園 / ソウル,            韓国

2016 "The Rendering The Spirit show", グレン エコー
          フォトワークス ギャラリー / ワシントン DC,
            アメリカ合衆国

2015 ロンドン芸術大学大学院 LCCキャンパス 卒業展 /
          ロンドン, イギリス

2015 "Camera Work", レイデンギャラリー / ロンドン,
           イギリス


-出版-

2015 【Thirty for Thirty】 アートブック / イギリス

-特集-

2016 DCPhotoArtist // RENDERING THE SPIRIT:
INTERVIEW (URL)
2015 ロンドン芸術大学院 LCC 卒業展 // Spotlight on (URL)

-定期刊行物-

2015 中日新聞写真協会会報, 【ロンドン日記】

主にダゲレオタイプや湿板/乾板写真などの古典写真技法、そしてフイルムカメラなどで写真撮影を行なっているが、去年の夏敢行した世界一周ウェディングフォトツアーや、その他 日本企業のクライアントなどから頂く撮影依頼に対しては、要望に応えデジタル機器を使用することもある。Airbnb Official Photographer としても活動をしている。


+Blog

+Statement

 
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 およそ12億年前、無性生物の一部が「永遠性」を捨てさり、有性という「個体の死」を手に入れるという大革命が起きた。すべては個=全である命のためであった。しかし、約11億と9996万年が過ぎた頃、賢くなり過ぎたある有性生物の一種が”個体としての不死”を望むようになった。それは言わずもがな、僕たちホモ・サピエンスのことである。「知識の向上」「自己認識」「心の理論」「内省的自己意識」「自伝的記憶」と、脳の段階的な進化を経ることで、ホモ・サピエンスは動物界で唯一、自己の死を考え顧みる生物となった。

 ホモ・サピエンスは自己の死に対する疑問の答えを、アニミズムや先祖崇拝、そして様々な神々や宗教に見いだしきてた。「魂が引き続き存在するとする」という大いなる信念は、原始的な部族の時代から現代に至るまで相変わらず、およそ共通の普遍的な宗教的信念であり、「来世」という概念は死の苦悩に対する最も効果的な解決策となった。僕たちホモ・サピエンスは、このような心理的な慰めと共に過去4万年間を生き抜いてきたのだ。

 一方で、現世に対しても様々な解決策が生み出されてきた。例えば洞窟内で見つかる手形や、この世に存在したいた証となる墓や、どのような顔・姿であったのかを伝える肖像画などがそれに当たる。これら全て確証性に欠点を持つ外部記憶保存道具であったのだが、19世紀に入ると、「カメラ・オブスキュラ」というそれまで絵画の世界で使用されていた光学装置が生み出す映像を、感光により色が変わるハロゲン化銀などの銀化合物などで定着させるという大構想がついに実を結ぶことになる。それは、光が描く絵「Photo+graph」と呼ばれた。そして1839年、フランス・パリのとある議会にて大発明が公開された。人間を撮影できる高感度な撮影技術、ダゲレオタイプと言う名の解像度の著しく高い新たな外部記憶保存道具が発明されたのだ。ホモ・サピエンスの外部記憶保存道具は圧倒的な技術革新を迎えた。それまでの外部記憶保存道具とは段違いの現世での存在の確証性を担保した。自己や愛する人の姿を写真板上にマテリアライズし、精緻な実像としてこの現世に残そうとする写真という道具は、当初は特権階級しか手を出すことができない贅沢品であったのだが、生と死を浮き彫りにする戦時下、そして技術改良の恩恵、中産階級世帯の増大を受け、写真はついに一般大衆にとっても頼り甲斐のある外部記憶保存道具となった。

 そしていま、世界であらゆるものがデータ化されはじめているように、フィジカルに存在していた写真もそのほとんどが デジタルデータの写真に取って代わられている。利便性は常に何かしらの犠牲を要求してくる。しかし、その犠牲に気づく者、何かしらの行動に移る者が極めて少ないのも世の常だ。いまの写真界に、一体どれだけの人間がこの利便性がもたらした犠牲を把握しているのだろうか。

 フィジカルな写真であれ、デジタルな写真であれ、さらには無機物であれ、有機物であれ、荘子曰くこの世のすべては「化」であるいう。ヘラクレイトスであれば「パンタ・レイ(万物は流転する)」と返し、ゴッタマ・シッダルータであれば「諸行無常」「是生滅法」と答える。こういった世界の仕組みについての言明は、世界各地の遺跡遺物に残る渦巻文様からも見て取れる。これらは単なる過去の金言などではなく、「ダイナミック・ステイト[dynamic state]」や「エントロピーの法則[law of entropy]」により、科学的にも支持されている自然の摂理なのである。

 デジタルデータの写真はその性質上、「生」か「死」の状態でしか存在できない。データが消えていく瞬間を目の当たりにすることなど不可能だからだ。故にその死別はいつも突然なのである。それに比べ、フィジカルに存在している写真の生き様は詩情に溢れている。自己の精緻な実像は、悠然と生き. . . 劫を経て. . . 老い、病み、死んでいく。まるで「生老病死」の哲学と有性生物としての命のシナリオの如く、フィジカルな写真たちはその生を全うしていく。その世界に溶け込まんとする様に、僕たちは「寂」という一語をもって、美醜一つの如し、感得できるのである。先人たちがそのような哲学の下、写真を残していったとは全く考えられない。しかし、残されたいったフィジカルな写真たちの古傷を負ったその生き様は、「写真とは何か」という根本的な問いに対しての明確な答えを一つ、今を生きる僕たちに提示してくれているようにも思えてならない。

 僕たちホモ・サピエンスは相変わらず不老と不死を夢見ているが、自己の「生」と「存」だけが続く世界は空虚でしかない。この執着は畢竟するに、ホメオスタシスの規則が賢くなり過ぎた意識に狂わされているからに尽きる。僕たち有性生物は、二重の死のプログラム「アポトーシス」と「アポビオーシス」の働きにより自らを消し去り、絶え間ない宇宙の循環に回帰する利他的な生物であったはずだ。いや、そこには利他も利己もなかかったのかもしれない。奪われる命も、与えられる命もなかったのかもしれない。かつて、そのような世界の在り方を指し示す様々な思想が、華厳思想の「妙有」をはじめ、一部のホモ・サピエンスにより世界各地で大いに展開されていた。科学革命以後は科学者が世界の仕組みを説明する役目を担ったのだが、ホメオスタシスの規則を発見できても、その規則誕生の契機は説明できていない。それに加え、発展し過ぎた科学技術により、現代はますますテクノロジーの結果だけを享受する「再魔術化」の時代となってきた。社会が機能するには、価値や倫理的な判断が必要不可欠であるが、僕たちは科学に頼ることはできない。なぜなら、科学が機能するためにも価値や倫理的な判断が必要不可欠だからだ。“何から脱却し、何を残して、これから生きていくのか”、技術革新のテンポが継続的に加速していき専門性が著しく高くなってしまったこの社会では、それぞれの分野がそれぞれに考えを出していかないといけない。

 かるが故に、この時代、この世代の写真に携わる者の一人として、僕が辿り着いたのが「Physical Photography」 (*1) であった。

有限の生と無限の愛の残り香を漂わせながら. . .
時間を超え  恒常的であろうと望む  自己は. . .
世界に投げ出され  そして 世界に溶けて逝く. . .

これが「Physical Photography」の世界だ。いままで、いわばそのホメオスタシス的力だけが、写真の力だとされてきた。しかし、僕たち人間は、ホメオスタシスだけでは生きてはいけない。自己を世界へ投げ出し、行為する存在としてのアポトーシスがあってこその命だ。「Physical Photography」の世界に生きる自己の精緻な実像は、時の経過の織り成す自然美を纏い、その生を全うしていく。その具現の過程は世代を跨いでいく。100年、200年、300年の未来を見据えて、僕たちは写真を撮り、育て、そして残していくのである。写真は単なる画像ではない。単なるデータの集まりを、写真と呼ぶことはできない。「Physical Photography」の世界でしか可視化されない、写真のアポトーシス的力。この二つの力が発揮されてこその写真の自性であると、僕は考える。そして、この自性が僕たちに、あらゆる東洋思想紡いできた世界の原理というものを教えてくれる。世紀を超えて、西洋の大発明が、いま、東洋の叡智に再び光を当て、来たる次の世紀を生き抜く真理と成るものを授けてくれるであろう。そう、信じたい。

 
 

[祖父と大伯母の幼少時代の写真]

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“写真は 撮って半分 育てて半分”


モノへ愛情を注ぐという姿勢は、「人間と機械」「生物と非生物」の境目が曖昧となる来たるべき真の人工知能の世界において、非常に大切な“心構え”となるに違いない。そして“時の経過が織りなす自然美”は、光の速度を超える何らかの方法を見つけない限り、ホモ・サピエンスが決して手を出すことのできない領域の絶対美として、今後も君臨し続けることだろう。仮に、同じような美の効果を何らかのテクノロジーによって再現することができたとしても、僕たちの意識を完全に制御できていない限り、それは偽物で在り続ける。では仮に、もしも僕たちの意識までをも完全に制御できる世界が来てしまったら、それは.  .  . 

ここまでにしよう、考えるのはここまでにしておこう。

その時は、その時だ.  .  . 


 

*1 デジタルデータの写真は、ディスプレイを通してでないとその存在を確かめることができない。パソコン内やHDD、クラウドストレージ上などに保存されている間は、僕たちは身体的感覚ではなく、心的感覚、つまりその存在をただ信じることしかできない状態が続く。一方、いわゆるアナログ写真と呼ばれている写真は、視覚、触覚、聴覚、嗅覚に刺激を与え、強い身体的感覚と共にその存在を認識できるため、心的の対語である「Physical(フィジカル)」な写真と言えるだろう。加えてこの世界に存在するあらゆるモノは、細かく分けていくと原子という粒子に行き着き、そこはデジタルの世界だとも言える。感光膜面上に広がるハロゲン化銀分子の連なりも、アナログではなくデジタルな世界に近いのではないだろうか?以上の理由から、僕はダゲレオタイプや湿板写真、乾板写真、フイルム写真といった写真類を、ロンドン芸術大学院 卒業制作展(2015年)以来、「Physical Photography」と呼んでいる。



 
MATERIALISM.png
 

✳︎プロジェクト名である 「MATERIALISM」は「(精神より物質を重んじる)物質主義,実利主義」といった意味では使用していません。そして、単なる「唯物論」でもありません。


 既存の「物質主義(MATERIALISM)」という言葉が暗に示すのは、所有欲の原因を“己の心の弱さ”ではなく“物質”に擦りつけ、いまだその違和感を何一つ感じない、合理性を標榜する現代人たちの醜さである。果たして、この驕った精神を放置したまま、人間は、ヒトのように振る舞う機械(モノ)との共存や、近い将来やって来るであろう意識を持つ機械(モノ)の時代を、健全に迎えることが出来るのだろうか。モノにヒトの要素を足すテクノロジーは、ヒトにモノの要素を足すテクノロジーと表裏一体である。つまり、不老と不死という欲望さえもが何らかの形で叶えられてしまう時代が来るかもしれない。僕たちは、そのような来たる未来を迎え入れる健全な姿勢を確保する必要がある。しかし、焦る必要はない。理性という色眼鏡を少しズラしさえすれば、見えてくることがある。理性が感覚を見下すことさえ止めれば、世界は解けていく。「理」というものは、何も人間の心の側だけに存在しているのではなく、「物の世界」にも「理」は存在しているのだ。

 かつて、不老と不死に対する欲望は、世界各地の賢者たちにより“循環”という概念に昇華され、そして渦巻文様として広く世界でシンボル化されてきた。こうした世界観は、自然を見つめ尽くし辿り着いた“感覚”の世界でしかなかったのだが、いまや“理性”が司る科学界でも、特にRudolph Schoenheimerや現代の生物科学界 を中心に、同じような世界観が形成されている。「万物はMaterial(素材)で構成され、合成と分解を繰り返す。」人間も例外ではなく、その身体を構成しているMaterialは分解されると自然界へ放出され、それぞれのMaterialがまた別の何かを構成するMaterialとなり、こうした循環が宇宙誕生のその瞬間から永遠と続いてきた。こういった世界に対する姿勢は、不老不死が誘う生と存だけの闇の世界の扉を閉める鍵と成る。そして、この「世界は循環する」という普遍的直感に加え、金や鉄をはじめとしたこの世の非生物を生物として見なしてきたホモ・サピエンスの象徴的思考や共感力、世界各地の哲学者や宗教者たちによって多種多様に展開されてきたヒト(生物)とモノ(非生物)を同根とする思想は、来たる真のAI時代の世界を正しく開ける鍵にも成り得る。「Material」という言葉は、ヒトとモノを結びつける大切な言葉なのである。だからこそ、「MATERIALISM」という言葉はアップデートされるべきなのだ。いまは敢えて、本来必要なのない「IMPERMANENT「流転的」」という形容詞を「MATERIALISM」の前に付け足して表現しているのも、「MATERIALISM」と聞いて冷たさや無情さと捉えるあなたがいるからだ。あらゆるものを分節し細かく切り分け、人間がこの世界を消化しやすくするために生まれた知恵が、言語化という行為である。だからこそ、生み出した言葉の面倒をみる義務が、僕たちにはある。

 理性の声に従い、モノに囲まれれば、至福を手に入れられると信じ突き進んできたのだが、

 感覚の声を信じ、モノと溶け合えば、至福という言葉はたちまち虚へと化していくだろう。


 人間精神の驕りを捨て去り、人間身体の脆さを受け止める。そして、その脆さは循環という摂理に包含され、愈々自我という厚かましい壁が音を立てず崩れていく。主観性を固持するのか、それとも物我一如を目指すのか。「MATERIALISM」という言葉は、カオスをその刹那ハーモニーへと置換する。意味など求めてはならない。意味はいつも、あなたが付け足しているだけではないか。

いまこそ、
「MATERIALISM」という言葉を救うべきだ。

 
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[ガラス乾板写真に写り残った曽祖父の姿]

 

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