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Seoul

01034024412

伊藤 悠吾/Yugo Ito/ダゲレオタイプDaguerreotype/湿板写真WetPlateCollodion/乾板写真DryPlateCollodion/ - Materialising the moments -
"Oblivion Terror" x "Craving For Existence" x "Physical Linkage" x "Impermanence" x "Physical Photography"

[+ 어바웃 미]

 
MATERIALISM.png
 

[fade]사진은 찍어서 반 키워서 반[/fade]

 

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+Bio

이토 유우고 / ITO YUGO

아이치현 출신. 26세.
마을 사진관의 4대를 잇는 아들로 태어나다.

 

죠치대학에서 경영학을 전공한 후, 런던예술대학원에 진학.
현재 일본・한국을 주요 거점으로
자작 옻칠 대형 카메라를 메인 카메라로 사용하여
【다게레오 타입】【습판사진】【건판사진】등과 같은 
고전 사진 기법인 Physical Photography를 주제로 
촬영・활동을 하고 있다. 

다게레오 타입

다게레오 타입

 

MATERIALISM KOREA

MATERIALISMPROFILE(4000-72).jpg

런던예술대학원 졸업 후,
대학원 동기였던 홍콩인 사진가와 함께 한국 서울에서 "MATERIALISM" 프로젝트를 기획&운영.

고전사진기법으로 촬영하는 방문사진관,
건판기법의 촬영&현상체험 이벤트 등
고전사진기법의 주지(周知)를 목적으로 한 활동을 펼쳤다.

왼쪽 : 본인
오른쪽 : 안토니 
Antonyshum.com

 

 

MATERIALISM JAPAN

 

 

 

현재도 "MATERIALISM" 프로젝트는 계속되고 있으며, 
본가인 이토 사진관에서
【다게레오타입】【습판사진】【건판사진】 세 가지의 고전사진기법 모두를 촬영 가능한 세계 최초의 스튜디오를 오픈.

이토 사진관→ito-photo.com

イトウ写真館.jpg
 

+Blog

+Key Concepts

 
MATERIALISM
 

남기고 싶은 대상에 한 번 스쳐 되돌아온 빛의 입자(광자/photon)를 감광막면 위에서 물질적으로 보존하고, 그것을 보는 나의 눈, 망막에 그 빛의 입자들이 들어온다. 그러면 나와 피사체의 사이에는 “Physical Linkage(물리적인 이어짐)”가 구축된다. 이것으로, 나는 두 번 다시 돌아갈 수 없는 과거, 그 “무상”관에 맞서서 대항하는 듯한 기분이 들었다. 사진에 몰두하는 초기의 나는 이러한 자세로 사진과 같이했다.

그 근저에는 사진의 본질적 특징이란 자기 인생의 강도를 높여주는 것 이라는 그의 신조가 있고,

전 생물에게 있어 제1의 원칙, 그것은 「자신의 흔적을 남기려는 본능」이다. 그러나, 인류만은 자아가 싹트기 시작했고 인지혁명에 의해 「망각의 개념」과 만나게 됐다. 「외우다」「기억하다」 라는 것은 동시에 「잊다」라는 개념도 생기게 된다. 그 이후, 다른 생물과는 달리 인류만이 “Oblivion Terror(망각 공포)”에 저항 하도록 다양한 방법으로 자신의 흔적을 남기려 항거해 왔다. 네안데르탈인의 매장 문화도 그 중 하나이다. 그리고 인류공통의 의식의 집합체의 흐름이야말로, 사진 발명의 원천이 되었다고 나는 생각한다. 이렇게 나는 「사진행위」의 본질적 특징이란 「과거의 존재를 경험시키는 힘」 이라는 결론에 이르렀다. 경험의 「경험」을 역시나 사람은 그것을 「경험」으로 인지한 것이다. 그래서 사람은 사진을 잃어버리면 그 자체를 잃은듯한 감각에 빠지게 된다. 이것은 하나도 과장된 이야기가 아니며, 2011년 동일본 대지진이 일어났을 때에 실제로 사진을 잃어버린 이재민 분들의 사이에서도 말해졌었다.

하지만, 어째서 인류는 이렇게까지 사진에 의존하게 되어버렸을까. 그 해답을, 나는 불교의 “유애(有愛)” 라는 말에서 발견해냈다. 「언제까지나 계속 살아가고 싶다」 「사후에도 어떠한 형태로 존재하고 싶다」라는 괴로움(苦)의 근원인  사진은 존재의 객관적 확증을 담보해주는 불교에서 말하는"갈애"의 하나이다. 이미, 어느새 「사진을 찍어서 남겨두고 싶다」라는 자아가 바라는 욕망의 불씨는 쉽게 지울 수 없다. 사진은 「나의」「그의」「그녀의」 객관적 확증을 담보해주니까. 그럼, 사진행위 라는 것은 근원의 요인일까.

이상, 이와 같은 자기의 갈등에 대립하기 위해 나는 다게레오 타입, 습판/건판사진, 필름사진 등에 서서히 마음을 빼앗기게 되었다. 나는 이것들의 사진을 레트로님(retronym) 으로써 “피지컬(Physical)사진” (디지털 사진과 비교해) 이라고 부른다. 이들 사진은 디지털 사진과 달리, 시간과 함께 자신과 함께 사비 (와비사비의 사비: 오래 된 것의 안쪽으로부터 우러나오는 외적인 것에 관계되지 않는 아름다움. 구체적인 예로 꼽히는 것은, 흐르는 시간 속에서 이끼가 낀 돌이 있다. 누구도 움직이지 않는 돌은 표면에 이끼가 끼어 녹색이 된다. 일본인은 이를 돌의 내부로부터 나오는 것으로 묘사한다) 해가는  “과정”을 구현하고, 무상관의 “미(美)”를 경험시켜 준다. 「모든 사물・현상은 변해가며 불변의 것은 없다」라는 “제행무상”을 구현해 주는 것이다. 할아버지, 할머니의 사진들이 아름다운 것에는 이유가 있다.

이렇게 나는, 「사진행위는 괴로움(苦)의 근원의 요인인가」라는 자기모순과 맞서 싸우기 시작했다. 라고해도, 나의 피지컬 사진은 아직, 인간에 비유하면 아기의 피부처럼 매끈매끈 생생하다. 내가 늙었을 때에 그 해답이 나올지도 모른다. 기대된다. 

그래, 사진이란 찍어서 반, 키워서 반인 것이다.

 

 
 


+CV (경력・학력・수상경력 등)

-대표적인 직력 / 의뢰 경력-

2017 제2회 건판사진 촬영&현상 특별체험회 by MATERIALISM, 문화정원, 서울
2017 서울특별시 후원 "낭만씨어터"음악낭독극 <첨밀밀> 습판사진 제작 by MATERIALISM
2017 제1회 건판사진 촬영&현상 특별체험회 by MATERIALISM, 종로문화재단 무계원, 서울
2017 WTF 세계 태권도 선수권대회 기간 중에 국립 태권도원에서의 습판사진 제작 → HERE
2017 "Materialism" On-demand 고전 사진 기법 사진관, 서울, 한국 / 기획자 & 사진작가 → HERE
2016 세계일주 신혼여행 / 동행 사진작가 → HERE
2016 Airbnb, Inc. 에어비앤비 / 공식 사진작가

 

 

-학력-

2015 런던예술대학원 LCC 사진과정졸업
2014 죠치대학 경제학부 경영학과 졸업, 도쿄

-수상경력- (13상)

2018 Monochrome Awards 2018, 국제, 아키텍처 부문,
일등상 (프로페셔널) 자작 건판사진
2018 Monochrome Awards 2018, 국제, 아키텍처 부문,
명예상 (프로페셔널) 자작 건판사진
2018 Monochrome Awards 2018, 국제, 아키텍처 부문,
명예상 (프로페셔널) 자작 건판사진
2017 Monochrome Awards 2017, 국제, 랜드스케이프 부문,
명예상 (프로페셔널) 자작 건판사진
2017 Monochrome Awards 2017, 국제, 랜드스케이프 부문,
명예상 (프로페셔널) 디지털 사진
2016 THE RENDERING THE SPIRIT SHOW(고전사진기법전), 미국, 12인의 선출아티스트
2015 THIRTY FOR THIRTY, 영국, 30인의 신흥 아티스트
2014 제62회 니콘 포토 콘테스트, 일본, 준특선
2013 제11회 일본 사진 작가 협회, 우수상
2013 제17회 일본 종합 사진전, 우수상 2개 수상
2013 주일 대한민국 대사관 포토 콘테스트, 입선
2013 Hasselblad & 주일 스웨덴 대사관 이노베이션 포토 콘테스트, 최종심사 진출자
2012 제64회 주니치 신문 포토 콘테스트, 일본, 입선

 

-전시회- (6전)

2018 Alice in the www “Who in the www am I?”
다게레오타입 작품으로 컬래버레이션
수호갤러리, 분당구, 대한민국
2017 현대 서울&중국 건판 사진전,문화정원 , 서울, 대한민국
2017 현대 서울 건판 사진전, 종로문화재단 무계원, 서울, 대한민국
2016 Glen Echo Photoworks 익스비션, 워싱턴DC, 미국
2015 런던예술대학원LCC 졸업 전시회, 런던, 영국
2015 CAMERA WORK, 레이덴 갤러리, 런던, 영국

-출판-

2015 THIRTY FOR THIRTY 아트북, 영국

-특집-

2016 DCPhotoArtist // RENDERING THE SPIRIT: INTERVIEW (URL)
2015 런던예술대학원LCC 졸업 전시회 // “SPOTLIGHT ON” (URL)

-정기간행물-

2015 월간지 주니치 신문 사진 협회 회보, 런던일기

주로, 다게레오 타입이나 습판사진 등의 고전사진기법, 그리고 필름 카메라 등으로 사진촬영을 하고 있으나, 지난해 여름 감행한 세계일주 웨딩사진 투어나, 기타 일본 기업의 클라이언트 등으로부터 받은 촬영 의뢰에 대해서는, 요청에 응하여 디지털 기기를 사용하기도 한다. Airbnb Official Photographer로도 활동하고 있다.

다게레오 타입, 습판・건판사진의 촬영의뢰는, 아래 링크를 눌러 신청해 주세요.


 다게레오 타입, 건판사진, 습판사진에 사용하고 있는
옻칠 자작 대형카메라 
[4x5& Whole Plate & 8x10]

 
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materialismoriginalTM.png
 
 

한국어로 번역 중입니다…

 

 およそ12億年前、無性生物の一部が“永遠性”を捨てさり、有性という“個体の死”を手に入れるという大革命が起きた。すべては個=全である命のためであった。しかし、約11億と9996万年が過ぎた頃、賢くなり過ぎたある有性生物の一種が”個体としての不死”を望むようになった。それは言わずもがな、僕たちホモ・サピエンスのことである。「知識の向上」「自己認識」「心の理論」「内省的自己意識」「自伝的記憶」と、脳の段階的な進化を経ることで、ホモ・サピエンスは動物界で唯一、自己の死を考え顧みる生物となった。

 ホモ・サピエンスは自己の死に対する疑問の答えを、アニミズムや先祖崇拝、そして様々な神々や宗教に見いだしきてた。「魂が引き続き存在するとする」という大いなる信念は、原始的な部族の時代から現代に至るまで相変わらず、およそ共通の普遍的な宗教的信念であり、”来世”という概念は死の苦悩に対する最も効果的な解決策となった。僕たちホモ・サピエンスは、このような心理的な慰めと共に過去4万年間を生き抜いてきたのだ。

 一方で、現世に対しても様々な解決策が生み出されてきた。例えば洞窟内で見つかる手形や、この世に存在したいた証となる墓や、どのような顔・姿であったのかを伝える肖像画などがそれに当たる。これら全て確証性に欠点を持つ外部記憶保存道具であったのだが、19世紀に入ると、「カメラ・オブスキュラ」というそれまで絵画の世界で使用されていた光学装置が生み出す映像を、感光により色が変わるハロゲン化銀などの銀化合物などで定着させるという大構想がついに実を結ぶことになる。それは、光が描く絵“Photograph”と呼ばれた。そして1839年、フランス・パリのとある議会にて大発明が公開された。人間を撮影できる高感度な撮影技術、ダゲレオタイプと言う名の解像度の著しく高い新たな外部記憶保存道具が発明されたのだ。ホモ・サピエンスの外部記憶保存道具は圧倒的な技術革新を迎えた。それまでの外部記憶保存道具とは段違いの現世での存在の確証性を担保した。自己や愛する人の姿を写真板上にマテリアライズし、精緻な実像としてこの現世に残そうとする写真という道具は、当初は特権階級しか手を出すことができない贅沢品であったのだが、生と死を浮き彫りにする戦時下、そして技術改良の恩恵、中産階級世帯の増大を受け、写真はついに一般大衆にとっても頼り甲斐のある外部記憶保存道具となった。

 そしていま、世界であらゆるものがデータ化されはじめているように、フィジカルに存在していた写真もそのほとんどが デジタルデータの写真に取って代わられている。利便性は常に何かしらの犠牲を要求してくる。しかし、その犠牲に気づく者、何かしらの行動に移る者が極めて少ないのも世の常だ。いまの写真界に、一体どれだけの人間がこの利便性がもたらした犠牲を把握しているのだろうか。

 フィジカルな写真であれ、デジタルな写真であれ、さらには無機物であれ、有機物であれ、荘子曰くこの世のすべては「化」であるいう。ヘラクレイトスであれば「パンタ・レイ(万物は流転する)」と返し、ゴッタマ・シッダルータであれば「諸行無常」「是生滅法」と答える。こういった世界の仕組みについての言明は、世界各地の遺跡遺物に残る渦巻文様からも見て取れる。これらは単なる過去の金言などではなく、「ダイナミック・ステイト」や「エントロピーの法則」により、科学的にも支持されている自然の摂理なのである。

 デジタルデータの写真はその性質上、“生”か“死”の状態でしか存在できない。データが消えていく瞬間を目の当たりにすることなど不可能だからだ。故にその死別はいつも突然なのである。それに比べ、フィジカルに存在している写真の生き様は詩情に溢れている。自己の精緻な実像は、悠然と生き. . .劫を経て. . .老い、病み、死んでいく。まるで“生老病死”の哲学と有性生物としての命のシナリオの如く、フィジカルな写真たちはその生を全うしていく。その世界に溶け込まんとする様に、僕たちは“寂”という一語をもって美醜一つの如し、感得できる。先人たちがそのような哲学の下、写真を残していったとは全く考えられない。しかし、残されたいったフィジカルな写真たちの古傷を負ったその生き様は、「写真とは何か」という根本的な問いに対しての明確な答えを一つ、今を生きる僕たちに提示してくれているようにも思えてならない。

 僕たちホモ・サピエンスは相変わらず不老と不死を夢見ているが、自己の“生”と“存”だけが続く世界は空虚でしかない。この執着は畢竟するに、ホメオスタシスの規則が賢くなり過ぎた意識に狂わされているからに尽きる。僕たち有性生物は、二重の死のプログラム「アポトーシス」と「アポビオーシス」の働きにより自らを消し去り、絶え間ない宇宙の循環に回帰する利他的な生物であったはずだ。いや、そこには利他も利己もなかかったのかもしれない。奪われる命も、与えられる命もなかったのかもしれない。かつて、そのような世界の在り方を指し示す様々な思想が、華厳思想の「妙有」をはじめ、一部のホモ・サピエンスにより世界各地で大いに展開されていた。科学革命以後は科学者が世界の仕組みを説明する役目を担ったのだが、ホメオスタシスの規則を発見できても、その規則誕生の契機は説明できていない。それに加え、発展し過ぎた科学技術により、現代はますますテクノロジーの結果だけを享受する「再魔術化」の時代となってきた。社会が機能するには、価値や倫理的な判断が必要不可欠であるが、僕たちは科学に頼ることはできない。なぜなら、科学が機能するためにも価値や倫理的な判断が必要不可欠だからだ。“何から脱却し、何を残して、これから生きていくのか”、技術革新のテンポが継続的に加速していき専門性が著しく高くなってしまったこの社会では、それぞれの分野がそれぞれに考えを出していかないといけない。

 かるが故に、この時代、この世代の写真に携わる者の一人として、僕が辿り着いたのが“Physical Photography” (*1) であった。

“有限の生”と“無限の愛”の残り香を漂わせながら…
時間を超え 恒常的であろうと望む 自己は…
世界に投げ出され そして世界に溶けて逝く…

これが“Physical Photography”の世界だ。いままで、いわばそのホメオスタシス的力だけが、写真の力だとされてきた。しかし、僕たち人間は、ホメオスタシスだけでは生きてはいけない。自己を世界へ投げ出し、行為する存在としてのアポトーシスがあってこその命だ。“Physical Photography”の世界に生きる自己の精緻な実像は、時の経過の織り成す自然美を纏い、その生を全うしていく。その具現の過程は世代を跨いでいく。100年、200年、300年の未来を見据えて、僕たちは写真を撮り、育て、そして残していくのである。写真は単なる画像ではない。単なるデータの集まりを、写真と呼ぶことはできない。“Physical Photography”の世界でしか可視化されない、写真のアポトーシス的力。この二つの力が発揮されてこその写真の自性であると、僕は考える。そして、この自性が僕たちに、あらゆる東洋思想紡いできた世界の原理というものを教えてくれる。世紀を超えて、西洋の大発明が、いま、東洋の叡智に再び光を当て、来たる次の世紀を生き抜く真理と成るものを授けてくれるであろう。そう、信じたい。

 

Grandfather and Grandaunt

조부
 

「写真は 撮って半分 育てて半分」


“モノへ愛情を注ぐ”という姿勢は、「人間と機械」「生物と非生物」の境目が曖昧となる来たるべき真の人工知能の世界において、非常に大切な“心構え”となるに違いない。そして“時の経過が織りなす自然美”は、光の速度を超える何らかの方法を見つけない限り、ホモ・サピエンスが決して手を出すことのできない領域の絶対美として、今後も君臨し続けることだろう。仮に、同じような美の効果を何らかのテクノロジーによって再現することができたとしても、僕たちの意識を完全に制御できていない限り、それは偽物で在り続ける。では仮に、もしも僕たちの意識までをも完全に制御できる世界が来てしまったら、それは.  .  . 

ここまでにしよう、考えるのはここまでにしておこう。

その時は、その時だ.  .  .


 

*1 デジタルデータの写真は、ディスプレイを通してでないとその存在を確かめることができない。パソコン内やHDD、クラウドストレージ上などに保存されている間は、僕たちは身体的感覚ではなく、心的感覚、つまりその存在をただ信じることしかできない状態が続く。一方、いわゆるアナログ写真と呼ばれている写真は、視覚、触覚、聴覚、嗅覚に刺激を与え、強い身体的感覚と共にその存在を認識できるため、心的の対語であるPhysical(フィジカル)な写真と言えるだろう。加えてこの世界に存在するあらゆるモノは、細かく分けていくと原子という粒子に行き着き、そこはデジタルの世界だとも言える。感光膜面上に広がるハロゲン化銀分子の連なりも、アナログではなくデジタルな世界に近いのではないだろうか?以上の理由から、ダゲレオタイプや湿板写真、乾板写真、フイルム写真といった写真類を、僕は2015年の湿板写真とサイアノタイプの卒業展示以来、「Physical Photography」と呼んでいます。


プロジェクト名である“MATERIALISM”は
「(精神より物質を重んじる)物質主義,実利主義」
といった意味では使用していません。


 既存の「物質主義(MATERIALISM)」という言葉が暗に示すのは、所有欲の原因を“己の心の弱さ”ではなく“物質”に擦りつけ、いまだその違和感を何一つ感じない、合理性を標榜する現代人たちの醜さである。果たして、この驕った精神を放置したまま、人間は、ヒトのように振る舞う機械(モノ)との共存や、近い将来やって来るであろう意識を持つ機械(モノ)の時代を、健全に迎えることが出来るのだろうか。モノにヒトの要素を足すテクノロジーは、ヒトにモノの要素を足すテクノロジーと表裏一体である。つまり、不老と不死という欲望さえもが何らかの形で叶えられてしまう時代が来るかもしれない。僕たちは、そのような来たる未来を迎え入れる健全な姿勢を確保する必要がある。しかし、焦る必要はない。理性という色眼鏡を少しズラしさえすれば、見えてくることがある。理性が感覚を見下すことさえ止めれば、世界は解けていく。

 かつて、不老と不死に対する欲望は、世界各地の賢者たちにより“循環”という概念に昇華され、そして渦巻文様として広く世界でシンボル化されてきた。こうした世界観は、自然を見つめ尽くし辿り着いた“感覚”の世界でしかなかったのだが、いまや“理性”が司る科学界でも、特にRudolph Schoenheimerや現代の生物科学界 を中心に、同じような世界観が形成されている。「万物はMaterial(素材)で構成され、合成と分解を繰り返す。」人間も例外ではなく、その身体を構成しているMaterialは分解されると自然界へ放出され、それぞれのMaterialがまた別の何かを構成するMaterialとなり、こうした循環が宇宙誕生のその瞬間から永遠と続いてきた。こういった世界に対する姿勢は、不老不死が誘う生と存だけの闇の世界の扉を閉める鍵と成る。そして、この「世界は循環する」という普遍的直感に加え、金や鉄をはじめとしたこの世の非生物を生物として見なしてきたホモ・サピエンスの象徴的思考や共感力、世界各地の哲学者や宗教者たちによって多種多様に展開されてきたヒト(生物)とモノ(非生物)を同根とする思想は、来たる真のAI時代の世界を正しく開ける鍵にも成り得る。「Material」という言葉は、ヒトとモノを結びつける大切な言葉なのである。だからこそ、「MATERIALISM」という言葉はアップデートされるべきなのだ。いまは敢えて、本来必要なのない“IMPERMANENT”「流転的」という形容詞を「MATERIALISM」の前に付け足して表現しているのも、「MATERIALISM」と聞いて冷たさや無情さと捉えるあなたがいるからだ。あらゆるものを分節し細かく切り分け、人間がこの世界を消化しやすくするために生まれた知恵が、言語化という行為である。だからこそ、生み出した言葉の面倒をみる義務が、僕たちにはある。

 理性の声に従い、モノに囲まれれば、至福を手に入れられると信じ突き進んできたのだが、

 感覚の声を信じ、モノと溶け合えば、至福という言葉はたちまち虚へと化していくだろう。


 人間精神の驕りを捨て去り、人間身体の脆さを受け止める。そして、その脆さは循環という摂理に包含され、愈々自我という厚かましい壁が音を立てず崩れていく。主観性を固持するのか、それとも物我一如を目指すのか。「MATERIALISM」という言葉は、カオスをその刹那ハーモニーへと置換する。意味など求めてはならない。意味はいつも、あなたが付け足しているだけではないか。

いまこそ、「MATERIALISM」という言葉を救うべきだ。

 
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